シップHDのチャーム・ケアTOB、1,970円はPER15.9倍

シップHDがチャーム・ケア・コーポレーションに1株1,970円でTOB、完全子会社化へ(買付代金最大約455億円・プレミアム36.33%・下限37.25%)
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シップヘルスケアホールディングス(東証プライム・3360、以下シップHD)は2026年11月6日、持分法適用関連会社である株式会社チャーム・ケア・コーポレーション(東証プライム・6062、以下チャーム・ケア)に対し、普通株式1株1,970円で公開買付け(TOB)を実施すると発表しました。シップHDは2020年5月から完全子会社のエス・ティー・ケー(STK)を通じてチャーム・ケア株式の29.33%を保有しており、今回は残りの株式を取得して完全子会社化し、上場廃止とする計画です。チャーム・ケアの取締役会は賛同し、株主に応募を推奨しています。

買付期間は2026年11月9日から12月21日までの30営業日、決済開始は2026年12月28日の予定で、買付代金は最大約455億円です。創業者で代表取締役会長兼CEOの下村隆彦氏が所有株式の大半(所有割合16.13%)を応募する契約を結んでおり、売却の打診は下村氏の側から始まりました。

この記事では、①1,970円が業績・純資産・事業計画に対して何倍の価格なのか、②1,750円から始まった価格交渉がどこで止まったのか、③「マジョリティ・オブ・マイノリティ」条件を置かない設計をどう読むか、④約325億円の借入を伴う買収がシップHDの収益と財務にどう効くか、を開示資料と決算資料をもとに試算・整理します。

取引の骨格:29.33%を持つ「その他の関係会社の親会社」が残り約7割を買う

本件は、TOBで株式を集めた後、残った株主から現金で株式を取得する手続(スクイーズアウト)を行う二段階の買収です。TOBで議決権の90%以上を取得すれば特別支配株主の株式売渡請求を、届かなければ株式併合を使い、株式併合の場合は2027年3月を目途に臨時株主総会を開く予定とされています。スクイーズアウトの価格はTOB価格と同じ1,970円です。

項目 内容
公表日 2026年11月6日(双方の取締役会決議)
買付者 シップヘルスケアホールディングス(東証プライム・3360)
対象会社 チャーム・ケア・コーポレーション(東証プライム・6062)
買付価格 普通株式1株1,970円/第1回〜第4回新株予約権1個1円
買付期間 2026年11月9日〜12月21日(30営業日)
決済開始日 2026年12月28日
買付予定数 23,091,760株(上限なし)
買付予定数の下限 12,194,500株(所有割合37.25%)
買付代金 45,490,767,200円
現在の保有 STK(シップHDの完全子会社)を通じ9,600,000株(所有割合29.33%)
応募契約 下村隆彦氏:5,313,600株のうち譲渡制限付株式33,600株を除く5,280,000株(16.13%)を応募、新株予約権1,740個は不応募・放棄
資金 自己資金と三井住友銀行からの借入(上限325億円)
配当 TOB成立を条件に2027年6月期の中間・期末配当を無配に修正

下限の37.25%は、STKの29.33%と合わせて議決権の3分の2以上を確保し、株式併合の特別決議を可決できる水準として設定されています。すでに下村氏の16.13%が応募を約束しているため、下限まであと約21ポイントを一般株主の応募で集める計算になります(37.25%−16.13%、編集部が計算)。

時系列は次のとおりです。2020年5月の業務提携と資本参加から約6年、持分法適用の関係が続いてきました。

時期 出来事
2020年5月 業務提携契約。STKがチャーム・ケア株式29.33%を取得し持分法適用関連会社に
2026年6月上旬 下村氏からシップHDへ所有株式売却の打診
2026年7月中旬 シップHDが完全子会社化の検討を開始、7月17日に協議を申し入れ
2026年8月31日 シップHDが法的拘束力のない意向表明書を提出
2026年9月3日 チャーム・ケアが特別委員会を設置
2026年9月中旬〜10月中旬 デューデリジェンス、特別委員会による質問・インタビュー
2026年10月14日〜11月5日 価格交渉(1,750円→1,850円→1,910円→1,950円→1,970円)
2026年11月6日 1,970円で合意、応募契約締結、公表

1,970円を業績で測る:PER15.9倍、PBR2.79倍、計画EBITDAの約8倍

プレミアム(上乗せ率)は、公表前営業日(2026年11月5日)の終値1,445円に対して36.33%、過去1か月平均に対して41.73%、3か月平均に対して40.21%、6か月平均に対して44.64%です。1,970円は2021年10月15日に付けた上場来高値1,906円も3.36%上回ります。株価の面からは、過去の市場のどの時点の評価よりも高い価格といえます。

そこで、業績・純資産に対する倍率を編集部で試算しました。株式数は2026年9月30日時点の発行済株式数32,712,000株から自己株式30,640株を引いた32,681,360株を使っています。

指標 計算 結果
株式価値(全株を1,970円で評価) 32,681,360株×1,970円 約644億円
PER(2026年6月期実績) 644億円÷純利益40.47億円 15.9倍
PER(2027年6月期会社予想) 1,970円÷予想EPS124.08円 15.9倍
PBR(2026年6月期末) 644億円÷純資産230.40億円 2.79倍
企業価値(EV) 644億円+有利子負債100.02億円−現金預金101.18億円 約643億円
EV/営業利益(2026年6月期実績) 643億円÷52.77億円 12.2倍
EV/EBITDA(2028年6月期計画) 643億円÷80.35億円 8.0倍
EV/EBITDA(2029年6月期計画) 643億円÷87.25億円 7.4倍

前提:株式価値は新株予約権を含まない。有利子負債は短期借入金・1年内返済予定の長期借入金・長期借入金の合計、現金預金とともに決算短信の数値を使用。EBITDAは野村證券が算定に用いた事業計画の値。有料老人ホームの賃借に伴う将来の賃料支払いは有利子負債に含めていないため、賃料を負債とみなす場合のEVはこれより大きくなります。

チャーム・ケアは有利子負債と現金預金がほぼ同額で、実質的に無借金に近い財務です。そのため株式価値と企業価値がほとんど変わりません。

注目したいのは2つの点です。第一に、PERは実績・予想とも15.9倍で変わりません。2026年6月期の純利益40.47億円に対して2027年6月期の会社予想は40.55億円とほぼ横ばいで、営業利益が52.77億円から59.65億円へ伸びる計画でも、純利益ベースでは今期の上積みを見込んでいない数字です。第二に、計画EBITDAに対する倍率(7.4〜8.0倍)は、野村證券がDCF法の継続価値(計画最終年度以降の価値)の算定に使ったEBITDAマルチプル5.5〜7.5倍とほぼ同じか、それを上回る水準にあります。事業計画どおりに利益が伸びても、2029年6月期時点でようやく算定上の出口倍率の上限付近に届く価格であり、シップHDは計画の達成に加えて、計画に織り込まれていない統合効果まで見込んで価格を決めたと考えられます(シナジーの金額は開示されていません)。

2つの算定レンジのどこにあるか:大和総研DCFの上寄り、野村DCFの下寄り

算定機関 手法 レンジ 1,970円の位置
大和総研(シップHD側) 市場株価基準法 1,362〜1,445円 上限超
類似企業比較法 1,202〜1,780円 上限超
DCF法 1,601〜2,075円 下限から77.8%
野村證券(チャーム・ケア側) 市場株価平均法 1,360〜1,403円 上限超
類似会社比較法 926〜1,878円 上限超
DCF法 1,484〜2,799円 下限から37.0%

位置は(1,970円−下限)÷(上限−下限)で編集部が計算。野村證券のDCF法の前提は割引率(WACC)7.25〜7.75%、永久成長率1.25〜1.75%、EBITDAマルチプル5.5〜7.5倍です。

市場株価と類似会社のレンジはすべて上回り、DCF法のレンジ内に収まるという、親会社・大株主による完全子会社化で多く見られる配置です。ただし、対象会社側の野村證券のDCF上限は2,799円と幅が広く、1,970円はその中央値(2,141.5円)を下回ります。DCFの上限がこれだけ高いのは、事業計画が2028年6月期に売上高561億円・営業利益66.7億円へ、2029年6月期に売上高622億円・営業利益73.4億円へと伸びる前提だからです。特別委員会が計画の成長をどこまで織り込んで交渉したか、価格を受け入れた理由は、TOB開始後に提出される意見表明報告書や答申書の記載で確認する必要があります。

なお、両社ともフェアネス・オピニオン(価格の公正性に関する意見書)は取得していません。

4回の引き上げで+12.57%:上げ幅が縮んでいった交渉

提示 価格 前回比
当初提示 1,750円 —
2回目 1,850円 +5.71%
3回目 1,910円 +3.24%
4回目 1,950円 +2.09%
最終 1,970円 +1.03%

前回比は編集部が計算。当初提示からの引き上げは220円(+12.57%)です。

交渉は2026年10月14日から11月5日まで約3週間行われました。上げ幅は100円、60円、40円、20円と段階的に縮んでおり、双方が最終的な着地点に向けて詰めていった様子がうかがえます。当初提示の1,750円は公表前日終値1,445円に対して21%程度のプレミアムにとどまる水準で(1,750÷1,445−1、編集部が計算)、最終価格は上場来高値を超えるところまで引き上げられました。上場来高値を上回るかどうかは、長期保有の一般株主が応募を判断するときの目安の一つになるため、特別委員会がこの水準を意識していた可能性はありますが、開示にその旨の記載はなく推測です。

MoMを置かない理由と、代わりに積んだ措置

マジョリティ・オブ・マイノリティ(MoM)条件とは、利害関係のない一般株主の過半数が応募しなければTOBを成立させない、という下限の設定方法です。本件はこれを置いていません。開示は、STKの29.33%と下村氏の16.23%を合わせた所有割合が45.66%に達することを踏まえ、MoMを設定すると成立が不安定になりうるとして、設定しない理由を説明しています。

その代わりに講じられた主な措置は次のとおりです。

措置 内容
特別委員会 社外監査役1名、社外取締役2名、外部弁護士1名の4名で構成し答申書を取得
独立した助言 第三者算定機関として野村證券、法務アドバイザーとしてアンダーソン・毛利・友常法律事務所
利害関係者の除外 下村氏とシップHD出身の取締役を審議・交渉から除外し、別の社内検討体制を構築
マーケット・チェック 対抗提案を妨げる取引保護条項なし、買付期間を法定最短の20営業日より長い30営業日に
強圧性の排除 スクイーズアウト価格をTOB価格と同額に、価格決定申立ての機会を確保

経済産業省の「公正なM&Aの在り方に関する指針」が主に対象とするのは、MBOと支配株主による従属会社の買収です。シップHDの保有は29.33%で、会社法上の親会社ではなく「その他の関係会社の親会社」にあたりますが、間接保有で筆頭株主の立場にあり、チャーム・ケアにはシップHD出身の取締役もいます。対象類型は指針の主対象と異なるものの、構造的な利益相反は支配株主による買収に近いと編集部はみています。そこに、売却を打診した創業者が応募契約の当事者として加わっています。

創業者が応募を約束した取引では、創業者と一般株主の利害が一致しているかが論点になります。本件で下村氏が受け取る対価は一般株主と同じ1,970円で、開示上は創業者だけに別の条件を付ける記載は見当たりません。一方、下村氏がTOB後もチャーム・ケアの経営にどう関わるか、譲渡制限付株式33,600株をどう扱うかは、開示の範囲では詳しく分かりません。

シップHDにとっての意味:ライフケア事業を上回る規模を取り込む

項目 シップHD ライフケア事業(2026年3月期) チャーム・ケア(2026年6月期)
売上高 373.22億円 490.79億円
営業利益 22.16億円 52.77億円
営業利益率 5.9% 10.8%

営業利益率は編集部が計算。決算期が異なる(シップHDは3月期、チャーム・ケアは6月期)ため単純比較には限界があります。

シップHDは老人ホームの運営などを行うライフケア事業を持っていますが、チャーム・ケアは売上高でその1.32倍、営業利益で2.38倍の規模があり、利益率も高い会社です。シップHDの2026年3月期の連結営業利益は244.82億円で、チャーム・ケアの営業利益はその21.6%に相当します。ライフケア事業の2027年3月期計画は売上高350億円・営業利益22億円で、本件が成立すれば同事業の規模は2倍以上になる計算です。

当期純利益への影響を単純化して試算すると、現在は持分法でチャーム・ケアの純利益の29.33%(2026年6月期の純利益40.47億円なら約11.9億円)を取り込んでいます。完全子会社化すれば残り70.67%に相当する約28.6億円が新たに加わり、これはシップHDの2026年3月期純利益133.94億円の21.4%にあたります(編集部が計算)。ただし、これは借入金の利息、のれんの償却、取得関連費用を差し引く前の数字です。借入条件や取得原価の配分は開示されておらず、実際の増益幅はこれより小さくなります。

開示は、持分法適用の関係では対象会社の利益が持分相当しか連結に反映されないため、大きな経営資源を投じることを親会社の株主に説明しにくかったこと、一般株主への配慮から迅速な意思決定が難しかったことを、完全子会社化の理由に挙げています。上の試算は、この「29.33%しか取り込めない」制約の大きさを数字で示したものです。

想定するシナジーとして開示されているのは、①シップHDの医療機関ネットワークや土地情報を使った新規開設の加速と首都圏・近畿圏以外への展開、②医療機関から退院後の入居紹介による入居率の維持・向上、③給食・備品・介護機器の共同調達とDX・ICTのノウハウ共有、④海外人材の受入れや研修・採用チャネルの共通化、の4つです。いずれも金額は示されていません。

介護人材不足と開設コスト高:「なぜ今か」の背景

厚生労働省が2024年7月12日に公表した推計では、第9期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数は2026年度に約240万人、2040年度に約272万人とされています。2022年度の約215万人から、2026年度までに年約6.3万人、2040年度までに年約3.2万人の増加が必要という数字です。

チャーム・ケアは、選択的週休3日制(介護スタッフの約70%が選択)や、入居者3人に対し職員0.9人の配置で運営する効率化ホームの拡大など、人手を確保しつつ生産性を上げる取り組みを進めてきました。足元の業績は好調で、2027年6月期第1四半期(2026年7〜9月)は売上高124.03億円(前年同期比12.5%増)、営業利益15.37億円(同39.2%増)、介護事業の期中平均入居率は91.3%(同2.0ポイント上昇)でした。第1四半期の営業利益は通期予想59.65億円の25.8%にあたります(編集部が計算)。

期 売上高 営業利益 純利益 純資産
2025年6月期 466.73億円 38.45億円 29.36億円 206.78億円
2026年6月期 490.79億円 52.77億円 40.47億円 230.40億円
2027年6月期(会社予想) 514.55億円 59.65億円 40.55億円 —

2026年6月期の営業利益は前期比37.2%増(編集部が計算)です。

それでも開示は、介護職の有効求人倍率の高止まり、人件費や物件開発コストの上昇を挙げ、人材獲得と拠点開発の基盤を単独で築くことには限界があるとしています。業績が上向き、上場来高値を上回る価格を提示できる局面で、創業者からの売却打診をきっかけに資本関係を整理した、というのが開示から読み取れる経緯です。新設ホームの入居率は第1四半期に58.0%で、開設直後のホームが利益を押し下げる構造は続きます。開設を加速するほど一時的な負担が増えるため、上場会社として四半期ごとの利益に配慮するより、非公開化して長期の投資を優先しやすくする狙いがあると考えられます。

325億円の借入はシップHDの財務に重いか

項目 金額
買付代金 454.91億円
借入上限(三井住友銀行) 325億円(買付代金の71.4%)
自己資金で賄う計算の額 約129.9億円
シップHD 現金及び現金同等物(2026年3月期末) 786.04億円
シップHD 純資産(2026年3月期末) 1,524.28億円
シップHD 総資産(2026年3月期末) 3,851.09億円

自己資金分は買付代金から借入上限を引いた額で、借入額が上限を下回れば増えます(編集部が計算)。

買付代金はシップHDの期末現金の57.9%、純資産の29.8%に相当します。全額を手元資金で払うことも数字の上では不可能ではありませんが、7割程度を借入でまかなう設計です。シップHDの有利子負債の残高は今回確認した資料では得られず、借入後のレバレッジ水準は評価できません。シップHDは中期経営計画で5年間累計600億〜800億円程度を設備投資、M&A、人的資本などの成長投資に充てる方針を示しており、本件の約455億円はその枠の半分以上を一度に使う規模です。

経営者が読み取れること

持分法のまま6年間:資本関係の「中間地点」はいつまでも続かない

本件では、29.33%の持分法適用という中間的な関係が6年続いた後、創業者の売却打診をきっかけに完全子会社化へ進みました。持分法の関係は、相手の独立性を保ちつつ協業できる一方、投資の判断や利益の取り込みに制約が残ります。資本提携を結ぶ経営者は、提携の時点で「どの条件がそろえば出資比率を引き上げるのか」「大株主の創業者が売却を望んだときに誰が受け皿になるのか」を想定しておく価値があります。

創業者の承継と上場維持コストを一度に解く

下村氏はチャーム・ケアの第二位株主で、所有割合は16%を超えます。創業者がこの規模の株式を市場で売却すれば株価への影響が大きく、事業承継の出口は限られます。本件は、事業上のつながりがある大株主に売却し、同時に一般株主にも同じ価格で売却の機会を与える形をとりました。創業者が大株主の上場会社では、承継の手段として「既存の提携先による完全子会社化」が現実的な選択肢になりうることを示す事例です。

好業績のときに売るという判断

チャーム・ケアは増収増益の局面で、上場来高値を上回る価格を受け入れました。業績が伸びている時期は買い手が高い価格を正当化しやすく、売り手側の交渉力も高まります。ただし、計画どおりの成長が続けばさらに高い価値がついた可能性もあり、野村證券のDCF上限2,799円との差をどう考えるかは、一般株主の応募判断の分かれ目になります。

M&A実務者が確認したい論点

持分法適用会社の完全子会社化で、追加取得の効果をどう測るか

専門書では、持分法適用から完全子会社化に移ると、グループ一体での意思決定や経営資源の配分が可能になるとされます。本件でも開示はこの点を目的に挙げています。実務上確認したいのは、追加取得する約7割分の価値と、統合による効果の大きさが釣り合っているかです。本件ではシナジーの金額が開示されておらず、野村證券のDCFの事業計画にもシナジーは織り込まれていないとされています。段階取得では、既存の29.33%持分を取得時の時価で評価し直す会計処理が必要になるため、取得後の決算で計上される損益やのれんの額にも注意が必要です。

計画EBITDAの倍率と継続価値の前提を突き合わせる

専門書では、上場会社の買収価格は市場株価を基礎に、DCF法や類似会社比較法の結果と支配権プレミアムを考慮して交渉で決まり、将来の計画や統合効果を過大に見積もれば高値買いに陥るおそれがあるとされます。本件では、EV÷計画EBITDAの約7.4〜8.0倍という水準が、算定機関がDCFの継続価値に使ったマルチプルの範囲と近い点が確認ポイントです。継続価値の前提と取引倍率が近いときは、計画の達成度が価格の妥当性を大きく左右します。意見表明報告書で事業計画の前提(新規開設数、入居率)を確認したいところです。

MoMを置かない場合の代替措置の実効性

専門書は、支配株主や経営陣との利益相反が生じうる取引では、特別委員会の設置や第三者算定書の取得など公正性を担保する措置が重要だとしています。本件はMoMを置かず、特別委員会、利害関係者の除外、30営業日の買付期間、取引保護条項の不存在で補っています。実務上の確認点は、特別委員会が交渉に実質的に関与したか(本件では4回の引き上げの経緯が開示されています)、価格が算定レンジのどこに位置する理由を答申書が説明しているか、の2点です。下限37.25%のうち16.13%を応募契約で確保しているため、一般株主の応募が少なくても成立しうる点は、MoMを置かない設計の帰結として認識しておく必要があります。

買収資金の借入とスクイーズアウトの日程

専門書では、デットによる買収資金調達は資本効率を高めうる一方、利息負担や返済圧力が増えれば将来の成長投資を圧迫するリスクがあるとされます。本件の借入上限325億円の金利や返済期間は開示されていません。スクイーズアウトが株式併合になる場合は、2027年3月目途の臨時株主総会と、その後の上場廃止までの日程を確認しておく必要があります。

本件のまとめ

本件の要点は、29.33%を持つ最大株主のシップHDが、創業者からの売却打診を受けて、持分法適用の関係を完全子会社化に切り替える点にあります。チャーム・ケアは売上高約491億円・営業利益約53億円で、シップHDのライフケア事業の2倍以上の利益を稼ぐ会社です。持分法では純利益の29.33%しか取り込めなかったため、完全子会社化で取り込む利益は単純計算でシップHDの純利益の約2割に相当します。

戦略面の合理性は、シップHDの医療機関ネットワークを新規開設と入居紹介に生かせるか、共同調達と採用基盤の共通化で人件費・調達コストの上昇を吸収できるかにかかっています。開示が挙げる4つのシナジーはいずれも金額が示されていないため、統合後の入居率と新規開設のペースが、成否を測る最も分かりやすい指標になると編集部は考えます。

価格の面では、1,970円は市場株価・上場来高値に対して十分なプレミアムを付けた水準です。一方で、PER15.9倍、PBR2.79倍、計画EBITDAの約8倍という倍率は、事業計画の達成を前提にした価格でもあります。野村證券のDCFレンジの中央値を下回る位置にあり、MoMを置かず、創業者の応募で下限の4割強を確保している点も含め、一般株主は答申書の価格に関する説明を読んで応募を判断することになります。

今後の注目点は、買付期間が終わる2026年12月21日の応募結果(下限37.25%への到達と、株式売渡請求に必要な90%に届くか)、株式併合となった場合の2027年3月目途の臨時株主総会、そしてシップHDの決算でチャーム・ケアの連結化が開示されるタイミングです。

ディスクロージャー

本記事は、シップヘルスケアホールディングスおよびチャーム・ケア・コーポレーションが公表した適時開示資料、決算短信・決算説明資料、厚生労働省の公表資料をもとに、asset salon編集部が作成した分析記事です。倍率・比率などの計算と、それにもとづく解釈は編集部によるもので、開示資料に記載された事実と区別して記載しています。情報は2026年11月7日時点のものです。本記事は特定の有価証券の売買や公開買付けへの応募・不応募を勧誘するものではありません。投資判断はご自身の責任で行ってください。

引用元・参考資料

適時開示資料

決算説明資料・IR資料

業界統計・市場データ

参考書籍

  • 發知敏雄ほか『持株会社の実務(第9版)』東洋経済新報社、2021年、第1章
  • 木俣貴光『M&A戦略の立案プロセス』中央経済社、2019年、第4章
  • 戸嶋浩二・内田修平・塩田尚也・松下憲『M&A契約 モデル条項と解説』商事法務、2018年、第1部第3章
  • 森・濱田松本法律事務所キャピタル・マーケッツ・プラクティスグループ編著『エクイティ・ファイナンスの理論と実務(第3版)』商事法務、2022年、第1章・第3章

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アセットサロン編集長

日系M&AアドバイザリーファームにてM&A業務に従事。上場企業・中堅企業のM&A仲介・FA業務を中心に、デューデリジェンス、バリュエーション(DCF法・マルチプル法)、スキーム設計、契約交渉、PMI支援を経験。現在は、TDnetに日々公開される上場企業の適時開示情報をもとに、M&Aの背景・財務的影響・業界再編の動向を独自の視点で解説するメディア「アセットサロン」を運営。専門分野:上場会社M&A・TOB・PMI・企業価値評価・資本政策・IR解説

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