味の素株式会社(2802、東証プライム)は2026年6月22日、マレーシア証券取引所(Bursa Malaysia)に上場する連結子会社Ajinomoto (Malaysia) Berhad(AMB社)の少数株主に対し、1株20.0マレーシアリンギット(803円)を支払い株式を消滅させる「SCR」の実施を提案した。総額242億円規模の非公開化提案である。
AMB社はすでに味の素の連結子会社であり、財務的にはグループの一員だ。それでも242億円を追加投じて上場廃止まで行う理由はどこにあるのか。日本のTOBとは異なるマレーシア特有のスキームの中身と、その対価の妥当性を検証する。
※情報基準日:2026年10月5日。本稿執筆時点で、SCRの実施決定や完了を伝える味の素の追加の適時開示は確認できていない。
目次
案件の骨格
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 対象会社 | Ajinomoto (Malaysia) Berhad(AMB社、Bursa Malaysia上場) |
| スキーム | SCR(Selective Capital Reduction and Repayment) |
| 1株当たり対価 | 20.0マレーシアリンギット(803円) |
| 資本払戻総額 | 603.4百万リンギット(242億円) |
| 現在の保有比率 | 50.38%(30,627,845株) |
| 対象となる少数株主持分 | 49.62%(30,170,689株) |
| 取得後 | 100%(完全子会社化、Bursa Malaysia上場廃止) |
| 開示日 | 2026年6月22日 |
AMB社の直近業績(2026年3月期)は売上高710,208千リンギット(約285億円)、営業利益79,095千リンギット(約32億円)。3年間で売上高が約11%成長、営業利益は約31%拡大している。
SCRとは何か——日本のTOBとの構造的な違い
日本企業が国内で少数株主から株式を取得する場合、公開買付け(TOB)に続いてスクイーズアウト(株式併合等)を行う二段階が一般的だ。マレーシアのSCRはこれを会社法上の資本削減手続きとして一体で実現する仕組みで、対象会社自身が資本を削減し対価を支払うことで株主の株式を消滅させるという点で、法的構造が根本的に異なる。開示によれば、AMB社の取締役会が実施を決めた場合、SCRの完了には臨時株主総会での承認と裁判所の認可などの手続が条件となる。親会社である味の素の議決権の扱いを含め、承認要件の詳細は開示されていないため、50.38%を持つからといって承認が確実とはいえない点に注意したい。提案から完了までは概ね6ヶ月程度とされており、単純に計算すれば2026年末から2027年初め頃の完了が見込まれる。
50%超保有でも足りなかった理由
親会社が50.38%を保有する段階でも、AMB社は連結子会社として財務的に取り込まれている。それでも完全子会社化に踏み切る背景として、開示資料は「主要国に匹敵する事業規模への成長」「迅速かつ柔軟な意思決定に基づく事業運営の一層の進化」「グローバルな事業連携の強化」を挙げている。もっとも、筆者の見方では、これらの表現の背後には、少数株主が存在する限り生じる配当政策・収益分配面での説明責任や、Bursa Malaysia上場企業としての適時開示・IR対応・コーポレートガバナンス規制対応のコスト、グループ間の意思決定における現地株主承認プロセスといった制約が、完全子会社化によって解消されるという狙いがあると考えられる。
背景にはAMB社の位置づけの変化がある。味の素は東南アジアでタイ・インドネシア・ベトナム・フィリピンを主要4カ国として展開してきたが、開示によればAMB社はマレーシア市場の取り込みと中東への輸出拡大に取り組んでおり、「主要国に匹敵する事業規模」に成長しているという。地政学的な役割が拡大するAMB社に少数株主配慮という制約を課し続けるコストが、242億円という対価を上回ると味の素は判断したことになる。
242億円は高いのか——開示数値からの倍率検証
AMB社の発行済株式総数は、味の素保有分30,627,845株と少数株主持分30,170,689株の合計60,798,534株。これに1株20.0リンギットを乗じると、AMB社の株式価値は100%ベースで約12億1,597万リンギットとなる。開示されている803円÷20.0リンギットの換算レート(約40.15円/リンギット)で円換算すると、株式価値は約488億円である。
この488億円という株式価値を、AMB社の売上高約285億円・営業利益約32億円と比較すると、株式価値/売上高は約1.7倍、株式価値/営業利益は約15.3倍となる。ネットデット・ネットキャッシュの情報は開示されていないため、これは純粋な事業価値(EV)の倍率ではなく株式価値ベースの簡易な参考指標にとどまる点には留意が必要だ。それでも、営業利益の15倍程度という水準は、成長を続ける食品事業子会社の対価として突出した高値ではないと評価できる。
少数株主に流れていた利益はいくらか(筆者試算)
AMB社の2026年3月期の税引後利益は71,447千リンギットだった。少数株主の持分49.62%に相当する利益は約35百万リンギット(約14億円)となる。完全子会社化すれば、この部分も味の素に帰属する。今回の払戻総額242億円は、その約17年分に相当し、少数株主持分に対するPER(株価収益率)では約17倍となる。
なお、2024年3月期の税引後利益は401,419千リンギットと、営業利益60,231千リンギットを大きく上回っている。一時的な要因とみられるが、開示はその理由を説明していない。足元の評価には、2025年3月期以降の利益水準を使うほうが実態に近いと考えられる。
一方、営業利益は3期で60,231千リンギットから79,095千リンギットへ約31%伸びている。営業利益率も約9.5%から約11.1%に上がった。成長と利益率改善が続く子会社の残り半分を、利益の約17倍で取り込む提案といえる。
海外上場子会社を持つ日本企業へのガバナンス論点
日本企業が海外子会社を現地上場させている場合、親会社の論理と現地少数株主の利益が構造的に対立するリスクは常に存在する。今回はAMB社取締役会が提案受領後に独立した立場で対応方針を検討するとされており、現地ガバナンス上の手続きを踏まなければ規制・法的リスクが生じる。裁判所の認可を要する手続である以上、現地の法務・税務の専門家を前提とした案件であることは、日本本社にとっても軽視できない実務上の制約だ。
上場子会社を完全子会社化する際の価格と手続の論点は、楽天銀行による楽天カード・楽天証券HDの完全子会社化や、加賀電子による新光商事のTOBとも共通する。
海外に現地上場子会社を持つ日本の食品・消費財大手にとっても、現地上場を維持するメリットと、意思決定を一元化するメリットのどちらを優先すべきかは、今後同様に問われる論点になりうる。本件はその一つの試金石として位置づけられる。
結論——242億円は何のための投資か
「50%超保有の連結子会社を、なぜ242億円を追加投じて完全子会社化するのか」という問いへの答えは、持分比率の変化そのものではなく、意思決定を現地少数株主の論理から親会社の論理へ一元化することにある。営業利益の15倍程度という対価は、成長を続ける中東輸出拠点への投資として過大とは言えない。海外に上場子会社を持つ、あるいは持とうとしている企業にとって、「上場を維持するメリットは誰のためのものか」を子会社の戦略的重要性の変化に応じて定期的に問い直す必要があることを、本件は示している。
引用元
味の素株式会社「マレーシア味の素社に対する完全子会社化に向けた提案に関するお知らせ」(2026年6月22日)
https://tdnet-pdf.kabutan.jp/20260622/140120260618573870.pdf
ディスクロージャー
本記事は、公開情報(TDnet適時開示資料等)をもとに筆者個人の見解を述べたものです。特定の有価証券への投資を勧誘・推奨する目的はなく、記載内容の正確性・完全性を保証するものではありません。投資判断や経営意思決定にあたっては、必ず専門家にご相談ください。
1件のコメント